2022年 夢解きスクール秋学期 第7回 紹介
2022年12月11日秋講義第7回目「グリム童話ラプンツェル魂のケアと救済―学習障害不登校カウンセリングの事例からー」
ケアという言葉は臨床心理、看護、保育、ソーシャルワーク、介護、臨床牧会の実践現場で共通に使われる言葉である。ミルトン・メイヤロフ(1998)は、一人の人格をケアすることは、最も深い意味でその人が成長すること、自己実現を助けることである、と述べ、看護学からはジーン・ワトソン(2011)がユングの魂のケアという概念を取り入れているが、その背景には、キュアを志向するあまりに、医療技術に偏り、看護する側とされる側の感情を介した関わりという側面を軽視しがちな看護現場に警鐘を鳴らす意味があるようである。
筆者は若い頃から心理療法場面においても、キュアと同様にケアをも重視し、ユング派のジェームス・ヒルマン(1990)の主張する、疲れた鳥が羽を休める場であることを大切にし、また同じくユング派のカトリン・アスパー(2001)の主張する、子どもを乳母のように見守ることを大切にしてきた。
私たち心理療法家を訪れるクライエントは、誰かが自分のことを理解し、サポートし、も守ってくれているだけで、自分の心の中の疲れはて死にかけた魂を再生させ、再び現実社会で生き生きと生活する為の力を取り戻すのである。
河合(1970)は、カウンセラーはクライエントから、かすかにしか聞こえない弱い声にも耳を傾けないといけないと述べる。クライエントは、音階の音符のようにドレミのうちのミの感情を強く表現はしていても、同時のドとレとの感情も弱くではあるが表現しているのである。クライエントの夢にはそういった様々な感情が表現されており、筆者は夢に表現されているその声に耳を傾けることを大切にしてきた。そういう意味では、筆者の心理療法はいみじくも看護の側からも主張されているのと同じく、魂のケアと救済に重きを置いていると言って良い。
今回は、学習障害の問題を抱え、約10年に渡って不登校状態に陥っているある高校生女子とその母親のカウンセリング過程から、彼らの魂がケアにより救済に至る過程について検討する。